54時間の間、一番無口だったウイグル人(新彊の少数民族)の男が、私の手にゴツイ指で「小心」と書いた。中国語で「気をつけろよ」という意味だ。一人旅の私へ送る、別れの言葉だった。
大学二年の秋、40日ほどシルクロードを旅した。初の海外旅行である。金がないので、上海まで船で渡った(18,500円。安い!)。上海から嘉峪関(万里の長城の最西端)までは二等席で2泊3日54時間かかる。中国で硬座とよばれる木製の座席だ。54時間硬座に座っているのは不安だったが、それよりも、上海のドミトリー(多人房)で同室になったバックパッカーが、「硬座だけはやめておけ。汚いし、混んでいるし、鶏もいる。疲れて中国が嫌いになるぞ。」と言っていたことの方が不安だった。いくらかを上乗せすれば快適な二等寝台(硬臥)に乗れた。それをケチって、この先中国に対し嫌な印象を持つというのは愚かに思えた。反面、中国の人や文化、いや中国という国自体にどっぷりつかるには、硬座の方が良いような気もした。

結果、硬座を選んで正解だった。中国人はみな親切であった。とりわけ、同席したウイグル人達はいつも良くしてくれた。夜は座席下の特等席に真っ先に私を寝かせてくれた。座席下はタバコの灰だの、ひまわりの種だの、つばが乾いたものだの、わけのわからない食べかすなどで、汚れていたが、足を伸ばして寝られるので快適だ。彼らはそこを私に譲り、座ったままで寝ていた。朝昼晩の食事は全ておごってくれた。駅弁、ゆで卵、鶏の丸焼き、果物、ビール等、全てだ。ビールは全く冷えてないが、日本のものより苦味が少なく、なれれば常温でも十分飲める。冷えているに越したことはないが、ぬるくても、駅ごとに味が違う中国ビールを味わうのはなかなか楽しい。おごられてばかりでは悪いと思い、お返ししようとしたが一度も受け取らなかった。ただ一度、「日本のたばこを持っているか?」と聞かれた。吸ってみたかったようだが、私は持ってなかったので、ただ一回のお返しもできなかった。朝、少し寒くて目が覚めると、布団のように分厚いコートがかけてあった。無口な男のコートだった。あと、何日でもこの汽車に乗っていたいと思いつつ、私は下車した。なんともいえない消失感が私の中に満ちていた。
何年かたち、日常の中で、旅の感激は薄れていく。とりわけ景色の記憶はあれだけ感激したはずなのにと思っても、けっして蘇らない。しかし、人との出会いの記憶は薄れない。鮮明にあの時の感情が蘇る。結局私は人との出会いを期待し旅をしているのかもしれない。
「小心」と書いたあの男のような、無骨で見返りを求めない優しさを持つ人間になりたいものだと思った。
なりたいと、思ったんだがなあ。あの時確かに。